最近、上野動物園のパンダが死んだ。寿命だったらしい。その話しは人間の訃報と違って家庭の食卓ではほどほどに消化の良い話題となった。謝ってばかりで「記憶にございません」の政治や血なまぐさい社会面では楽しい食事にはほど遠い。「死んだのは、ランランだっけ?カンカンだっけ?」と、どっちでも話しの成り立つイイ加減さが楽しいのである。ところでこうした食卓での話題や居酒屋でいっぱい呑みながらの話題に、これを除いて、「科学的」なことで話題になったのはエンジニア勝負の自動車や建築業界ではなく、なんと一番役に立ちそうもないとみられている「宇宙」なのだそうである。大九惑星から外れた「冥王星」がそうであったとか。あれから二年余りになるが、冥王星より大きい惑星がどんどん発見されているので納得か。
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by harappa-hosizora
| 2008-05-13 17:25
| 宇宙あれこれ
おみやげみっつタコみっつ、なんて帰り際にもらって怒ったら、あなたはもうコチコチの甲羅アタマ。先日、東京からやってきた若い友人のお土産のなんと軽いこと!たこ焼きとアイスクリームの宇宙食だけ。タコ三つよりはダンゼンおいしかった。驚いちゃ行けない。全国の科学館に行くとこの貴重な食べ物が買えるらしい。最近、日本実験棟「きぼう」建設のため、国際宇宙ステーションに滞在中の土井隆雄飛行士が、知人に託されたブーメランが手元に戻ってくるかどうかを実験したところ、無重力の船内でちゃんと戻ってきたそうである。どのような状況で戻って飛んできたかはお土産話としてまだ内緒のようである。「旅からのあんな良い土産はなかった」と石垣りんが詩の中で書いている言葉に「地球は青かった」がある。言葉の土産の意味は大きい。
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by harappa-hosizora
| 2008-04-23 00:32
| 宇宙あれこれ
東西線地下鉄工事に伴い、五十二年間愛された仙台市天文台が昨年の十一月で閉館した。今では地上の西公園の丸いドームも取り壊され跡形もなく、地下では工事に先立ち埋蔵文化財調査の発掘対象となって何やら騒がし日々らしい。まさか「流れ星が埋まっていました!」なんて事はあろうはずもないが、昔の子供たちの宇宙への夢が拾いきれないほど埋まっているのは確かである。
七月一日には新しい体制で青葉区錦ヶ丘にオープンする。理科の教科書から宇宙に関する項目が減り、全般に科学離れが進む中で、果てしもない天文学的数字が並ぶ宇宙というものがどれだけ興味を持って迎え入れられるか。興味のあるところである。おりしも、新天文台のロゴマークが発表された。赤一色で表現した「宇宙を身近にする矢印」である。 #
by harappa-hosizora
| 2008-04-08 19:46
| 宇宙あれこれ
ず〜〜〜〜っとご無沙汰です。
それでもこのブログがこうして存在しているんですからあっぱれですね! 私の所属する同人誌「日曜随筆」のコラム欄は340字とチョー短い。 係りの方から要請があってその欄に毎号挑戦することにしました。 内容はもちろん、天文に関するエッセイです。どうなることやら。(^^; #
by harappa-hosizora
| 2008-04-08 19:09
| 宇宙あれこれ
読む前にもうばれていますよね? スミマセン。「博士の愛した数式」をパクってしまいました。 これは小川洋子の書いた小説で、数字認識オンチ(認識嫌い?)の私にしてはスッポリはまってしまいました。今頃、私の1200グラムの迷路のような脳ミソはびっくりしてメロメロにのびているはずです。 もう書くまでもないかとは思いますが、交通事故で脳にダメージを受けて記憶が80分しかもたないという数学博士とお手伝いさんとその息子との交流の物語です。映像化したら・・・あ、もう映画化になってしまいましたが、おそらく「ほのぼのほんわか」の愛情物語に出来上がっていることと思います。でも私の惹かれたのはそんな部分ではなく、冷ややかにも、淡々とした数字が美しい言葉となって表現されている発想力のすごさでした。 この記憶喪失の博士は数字にのみ強い興味を示すのですが、たとえば、こうです。 「君の靴のサイズはいくつかね」「24です」「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」「カイジョウって何でしょうか」「1から4までの自然数を掛け合わせると24になる」という具合です。一見無味乾燥な靴のサイズ。でもこれが「潔い数字」としてさっそうと語られるのです。このあと、誕生日の数字だったり、江夏の背番号「28」だったり、いろんな数字を通して、数と数が包容し合うとか、流れる星のようだとか表現されていくのです。もう「ほお〜〜〜」とため息のつき通し。読みながら、はて、自分にとっての潔い数字だったり、チャーミングな数字って何かあっただろうかと考えてしまいました。 私はとにかく数字にはホントに弱い。無邪気な中学一年生までは良かったのですが、ある秀才に「数学はサ、暗記だよ」と教わってからというもの、すっかり考えることをやめて、その結果、大の苦手となってしまいました。今でもあの言葉が数学の本質をついているのかどうかいちど専門家に聞いてみたい気がしています。その秀才はお医者さんになってしまいました。 というわけで数字はなるべく見ないように、遠ざけるようにしてして歩いてきました。だから自分のラッキーナンバーがなんなのかも、まったく自覚することもなく、いつ自分のところに幸せがやってきて、いつ幸せが逃げて行ったのかもさっぱりわかりません。考え方によってはこれも幸せ? それが数年前、ふと空を見上げたときから数字が気にかかり始めました。なになに、あの目のくらむような宇宙には5千億個もの銀河があって、一つ一つの銀河には2千億個の星が詰まってるって! この数字、いきなり宇宙をみじかに感じたときでした。でもおかしな錯覚だと思いませんか? 数字だけで考えたら、5〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇X2〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇ですよ! 現実の生活では想像もつかないようなとてつもない広がりのある数字です。 なのにみじかに感じる。一種のパラドックス? 例えば、愛する人がいるとします。「いつになるか約束できませんが、僕を待っていてください」と言われたとします。「えーいつになるかわからないの!永遠もあり?」とうろたえます。そこで、仮にウソでも「2、3年先」とでも言われたら、どうでしょう。ええ、待ってみるわ、と言ってしまいそうです。きっと宇宙に思いを馳せるときも似たようなものではないかと・・・。数字で表わせないほどの漆黒の宇宙の広がりを考えることは恐ろしいことです。そんなとき、その広さが少しでも数えられる数字に変換できれば、ちょっとだけ見つめ続ける希望が湧いてくるというものです。 そういうときの宇宙の数字の美しいこと! なにしろ5〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇個の銀河の一つ一つに2〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇個も輝く宇宙なのですからね! 地球から太陽まではたったの1億5千万キロ。地球から月まではたったの38万キロ。大胆にもこのように考えることの出来るこれらの数字も大好きです。これらの数字には、「博士の愛した数式」で語られた魅力的でチャーミングな「友愛数」や「完全数」は含まれてはいないけれど、それでも今の私には、もし大草原で寝転んだら、全身に降り注ぐ星のしずくを感じるほどにステキな数字です。 #
by harappa-hosizora
| 2006-10-11 17:02
| 星と本
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